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執筆者の写真あきぽ

選べるということ。

私、以前はなかなかの活字中毒でした。

コンスタントにまぁまぁな読書量。

ムスコたちが幼い頃には「いつ読んでんの⁇」って聞かれて「え?いつも読んでる」って答えるくらいに。

けれどここ数年で一気に読まなくなりました。本は買ってる。結構買ってる。

でも昔のような小説じゃないのよね。

先日、私が大好きだった時代小説シリーズの、スピンオフ巻が発売されていて、本屋で見つけて久々にすごくすごく嬉しくて。

で、私速読なので「あぁ終わっちゃう…」と思いながら一気に読んだ。

江戸時代の女料理人が主人公の話し。

内容はさておき、読み終わってから肚の底から感じたことは「あぁ。選べる世界に生きてるんだなぁ。今世。」という事。

前置きが長くなりました。

たとえば。

職業を選べること。

結婚相手を選べること。

結婚そのものを選べること。

どこに住むのか選べること。

どこへ行くかを選べること。

生むか生まぬかも選べること(選んだ通りならない事が多々あるのも承知の上で言っています。あしからず)

何を食べるか、誰と食べるのか。

どんな情報を見て聞くのか。

どんな情報を自分が採用して生きるのか。(主に女性について話してます)

当たり前に思うこれらは、ちょっと昔には考えもしないくらいに、叶わないことだったでしょう?

ちょっとここからは、いつにも増して怪しげなこと書きますけども。

私。選ぶことなどできなかった時代の記憶が、薄らボンヤリでも、断片的にでもあるからこそ(そう、あるんですよ)『選べる時代に生きている』という事が、肚の底に着地した瞬間に、わぁーーっと涙が流れてきました。

あの時もあの時もあの時も。

選ぶことなど叶わなかった…という思いと。今、全てを選べるという自分を思ったら、止まらないの涙が。

選べる時代に生きていて「私こんなの選んでない‼︎ 」って叫びたい気持ちすら「選んでる」という仕組み。

もっと言えば、別の時代、選べない時代すらも選んで生きていた、という、禅問答のような仕組み。

今現在、とても自分で選んでいるなんて受け入れ難い状況や環境に身を置く人がどれほどいるのか。それも理解していて書いてます。(ある種の考え方が、誰かにとっては暴力的にさえ受け取られることがあるって知っているつもり)

誤解もされるだろうし、反発も批判もある。馬鹿にされるだろうし、低俗だって思われるかもね。

「こんなの選んでない。選ぶはずない。」そんな状況や環境山ほどあるはず。

それでも。私は。

「今を選んで生きている」

という仕組みが自分の中心に重なった瞬間に、あぁそうだった、と思ったし、よろこびで魂が震えたのが分かったの。

でもね。選ぶことができなかったあの時代。

そんな中にもよろこびや愛はあったよ。

「それでも悪くはなかった」って思った記憶もあるからね。(ホントかよって思うでしょ)

だからこそ。

こんなにもカスタマイズを許された時代を今生きてるって事に「エライ!私!」って盛大に自画自賛したくなったよ。

こんなにも豊かな時代に生まれてこれたんだ!って。

壮大なフリして書いてみたけれど。

久しぶりに読んだ小説が面白かった、というお話し。

あとは相変わらず私の妄想の世界のお話し。

「選べる時代を生きてる」人が、人生を選ぶ時にパワフルにサポートできるのがイヤーコーニング ですよ。

我ながらなんて下手くそなステマかしら。

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