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執筆者の写真あきぽ

続 カラダにたとえるならば。


ひとつ前の記事の続きです。

じゃあでも。

自分のカラダ、腹筋や背筋が無くて(全く無いことはない)体幹がぶれぶれだろうと、柔軟性ってもんはとっくの昔にどっかに置き忘れ、あっちもこっちも硬くてギシギシ音がしようと(言い方ひどい)、わりと人々はフツーに生きているのですよ。

「それが今の私のカラダ」だから。

お腹が出てきたとか、体重が…とか、血圧が…とか、スタイルが…とか。チラリとよぎるけどそのまんま。

どっかでパチン!とスイッチが入ればもしかしたら、カラダに意識が行くこともあるかもしれない(し、ないかもしれない)

(※別に運動を進めてるわけではありません。したければすれば良いよね)

内側も同じなのですよ。

「それが今の私」だから、なかなか気がつかないの。

でもね不調和は自分の外側に映し出される。

自分のゴキゲンを妨げるあれやこれや。

取るに足らない細かい事だからと、気にしないようにしたり我慢したり。

そのうちもっとややこしい出来事があらわれて、「私なんにも悪いことしてないのに、上手くいかない…」って。そう思えるならまだいい方で「こんな事になるのは私が悪いから…私のなにが悪いんだろう」って。(←悪くないの。ちっとも悪いことなんてない)

自分の内側のクセが、外側の世界に映し出されるの。外側の不調和は自分を映す鏡。

だとしたら。そうだとしたら。

自分の内側を知ることで、内側の使い方を練習する事で、「私」の世界は今よりもずっと心地よいものになるんじゃないかしら。

内側に溜まるもの。

未消化の感情や、幼い頃に勝手に引き受けた責任や義務。いつかの時代に生きた時の記憶や感情までも、底には溜まっていたりする。(これは私の持論です)

ひとつずつ、固い蓋を開けていくこともできるけど、痛い思いも怖い思いも好んでする必要もないでしょう。だから炎と煙にお任せするのがいいよね、と思うのです。

内側の使い方を頭で理解したい人には、マヤ暦を入口に個人セッションもしてます。

ややこしいのは要らない、という人はイヤーコーニング が簡単です。

内側が軽くなれば、外側に移る世界も軽やかになるし、本来の私のエネルギーが動き出すから、当たり前に心地よい世界が広がるんだよね。

伝わったかな?


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