イヤーコーニング ジャパンの集いのゲストスピーカーは、真澄さんの著書を編集された、出版社きれい・ねっとの山内尚子さんでした。 尚子さんは300冊を超える本の編集をされているそうです。 お会いしたのはこの日が初めてでしたが、以前真澄さんがFacebookで尚子さんのブログをシェアしていて、その中の言葉にとても響いたことがありました。 私、身動ぎもせず食い入るように、人の話しを聞くのは久々でした。 尚子さんの言葉は優しくて軽いのに響くのです。 冒頭「私は言葉を扱う仕事をしています」と。あぁカッコイイと思いました。 そして話しの中で「言葉の恐さは受取手次第であること」なのだとも。 浴びるようにただ聞いていたので、メモをしませんでした。だから言い回しや言葉の選び方は違うと思いますが、私が尚子さんのお話しから拾ったいくつかです。(私のための備忘録) ↓↓↓↓↓ ○言葉は本質を語れない。言葉にしたと同時に本質から離れて行く。 (チャゲアスの歌詞のよう。言葉は心を越えない とても伝えたがるけど 心に勝てない by 「SAY YES」) ○「真・善・美」 真であるか。 良きことであるか。 美しきことか。 (自分が進もうとする道が、この三つに添うものであるか、ということ) ○紙と神は同じ音。そこに文字を落とすという事はすごいこと。神への約束。 昔は言葉を石や木に刻んだ。それは神への誓いでもあったはず。 (本を出すという事は本当に大変でそして素晴らしいことなのだと) ○日本で初めてイヤーコーニング の本が出版された。 (怪しげなもの、よく分からないものという位置付けにあったかも知れないイヤーコーニング というものが、多くの人に伝わっていく大きな節目でありチャンスなのだと思う) ○人が本来の自分に戻る時、万物全てが味方する。 (これを聞いた時に、不意に涙が出ました。あぁ本当にそうだと) ○聞こえる必要のある事は、人を介すことなく自分に聞こえるはず。 だからもし、セッションをしていて、なにか聞こえるとしたら、それは自分に聞こえる声じゃないのかな。 (これも納得しました。私は視えたり聞こえたりする能力は無いけれど、必要なことは自分の中から湧き上がるから) ↑↑↑↑↑ 尚子さんに逢えたことお話しを聞けたこと、お腹の奥が震えるようなよろこびでした。 西の方出身の尚子さんは、ゲストスピーチの一番最初に「私に求められているのは全力で笑いを取りに行くこと!」と言っていて、それなのにものすごくいい話しを途切れることなくしていて、合間合間に「あぁちっとも笑いが取れない!」と嘆いていました。 西の方の気苦労を垣間見ました。 レポ⑤に続きます。
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