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26歳という節目。

  • 執筆者の写真: あきぽ
    あきぽ
  • 2019年8月18日
  • 読了時間: 2分

この夏。

ひと夏のお仕事で、むかしむかしに携わっていたアウトドアな世界に身をおいています。

一緒にお仕事しているスタッフ達は総じてとても若くて(私と同世代もいる)、彼らと関わることで、今の彼らと同じ歳だった過去の自分をありありと思い出すの。


マヤ暦では26歳というのはちょっと特別な節目で、今一緒にいる彼らがまさにその頃にさしかかっているわけ。

私が26歳の頃。

野外活動のインストラクターをしていて、やっぱり夏休みは書き入れ時で、ひと夏に宿泊キャンプを11本くらいやっていた記憶がある。

家に帰るのは2.3日に一度寝るのと洗濯しに帰るくらいな毎日だったような。


べらぼうに忙しいんだけど、キャンプが残りあと2つくらいになった頃に「終わるのがなんかさみしいなぁ…」ってよぎった瞬間があって、「あぁ私まだこの仕事やれるワ」と思ったのを覚えてる。


一方で。毎日職場へ向かう車の中で「今日はイヤな事はありませんように」って繰り返し繰り返し念じながら運転していて、その時の景色まで覚えてる。

忙しく仕事に追われ過ぎて、「今日が今日のためだけにあればどれだけいいか…」と切実に願ってた時もあった。

…そんな記憶が、今の若い彼らと一緒にいる事で鮮明に甦ってきてる今日この頃。

『私めっちゃ頑張ってたなぁーーー』って、過去の私をハグしたい気持ちに溢れるわけです。

イヤもうほんとに。


今の私は、要らないものを削ぎ落としてシンプルにしていく段階の入り口にいると思っているのだけれど。

26歳という時代は葛藤しつつ、迷いつつ、たくさんたくさん自分に付け足して増やして育てて大きくするそんな時代だったんだなぁと。


自分に積み重ねてきた時間があったんだなと。

(当たり前なんだろうけどさ)

その上に今の自分がいるんだなと。

(当たり前なんだろうけどさ 2回目)

そんな事を沁み入るように感じている夏です。


体力が全然追いつかないので、いつも「あきちゃん大丈夫〜⁇www」って笑われながら若い彼らと楽しく仕事させてもらってる、キモチはとても健全な日々。



「あきちゃん」て呼ばれ方も幼少期の頃以来で、それもまた不思議な感覚。時代時代で呼ばれ方が変化してるのに気がついて、それがまた面白い。


26歳がなぜ節目なのか。マヤ暦で説明ができるのです。




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