自分の内側に起こることを、言葉にする役目があるんじゃないかと、勝手に思っているところがあって、なのでこのよく分からないかもしれないブログを書き続けています。 10人中9人に「意味わからん」と言われても、もしかしてのたまたまな誰か1人に伝わればいいやと。 なので、分からないかもしれない話しをまた書きます。 私、よく樹に反応するのですが。 神社にある御神木と言われるような、立派な樹フェチです。大好き。 樹齢の長い樹はとくに「あぁこの人たちは(樹ですけどね)時空を超えて存在するんだなぁ」と思うのです。(はい、ここでだいぶ遠くまで引いた人多数。自覚あり) 御神木のような樹は、ハブのような役割があって世界中とネットワークで繋がっているのだと。しかも時空を超えて。(いいの。頭おかしいと言われてもめげない) 私の勝手な妄想的持論です。 で。 あるところで出逢った樹があって。 たぶん御神木なのに、枯れかかっていて。 遠目からチラッと見ただけでもう哀しくて、意識に入れないようにしていたのですが、近くに行ってみようと促されて寄ってみたら。 一気に感情が溢れて抑えられなくて、涙が流れました。哀しくて哀しくて切なくて。 (思い出して泣きそうになる…) なんでそんなに哀しいのか、理由はうまく言葉にできないのですが。 時空を超えて在るような、そんな存在が役割を全うできていない姿が哀しかったです。(じゃあ役割ってナニって言われると…困るのだけれど) しばらく側にいて、でも静かにあったかくて、まだ息づいているのを感じたら少しホッとしました。「良かった逢えて。ありがとう。」って、そんな感じ。 いきなり感情が溢れて抑えられないなんてこと、フツーはまずないです。私。 でもちょっとここ最近、自分でも不思議に思う現象が自分自身に起こるので、「どうなっちゃってるのかしら」と思うことの多い今日この頃。 樹に関することについては、さらに怪しいたぶん大昔の記憶にまつわる話しもありますが、それはまた今度。
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